7月26日は開講いたします

東京資本論講座第3巻受講生のみなさま

雨続きの天候ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

この度の熊本での大変な水害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

東京では新型コロナ感染者が急増し、警戒警報が出され、仕事など不要不急での用事以外には東京への訪問は自粛が求められています。このような状況下で第11回目を開催できるのか、運営委員会でも慎重に検討致しました。

いのちと健康を守ることが最優先ですが、同時にこの講座は募集時1年間の受講期間を定めたものであり、いつまでも順延することもできないとの判断から、今月は予定通り開催することとします。運営委員会で記録だけ撮り全員にDVD送付という選択肢もあるのですが、今月は希望される方はご参加願います。おやすみされた方には無料でDVDを発送しますので、ご無理のない範囲でのご参加をお願いいたします。

第11回 第5篇(後半)利子と企業者利得とへの利潤の分裂 利子生み資本
     第6篇 超過利潤の地代への転化

7月26日(日)13時〜17時
秋葉原ダイビル12階 会議室D+E

会場は6月28日と同じ秋葉原です。前回のご案内を参照してください。

★第10回の資料レジュメ持参、マスク着用願います。
★発熱等体調に不安がある方はお休みください。
★欠席された場合は講義記録のDVDと資料を必ずお送りいたします。
★DVDを作成して資料発送まで7日~10日ほどお待ちください。

東京資本論講座第3回運営委員会一同

6月28日講座を再開いたします!

第10回講座開催のお知らせ

東京資本論講座第3巻受講生のみなさま、ご受講ありがとうございます。
みなさまお元気でお過ごしのことと存じます。

「緊急事態宣言」が解除されたので、慎重に検討しまして今月より再開することといたしました。お知らせが遅くなってしまい申し訳ありません。

・日 時 6月28日(日)13:00~17:00 
・場 所 秋葉原ダイビル12階会議室
・内 容 第10回講座 
     第5篇「利子と企業者利得とへの利潤の分裂。利子生み資本」

(当日入り口にどちらの会議室か、ご案内貼ります。開場は12時半)JR秋葉原 電気街口より徒歩2分 

当日は、お出掛け前に検温してマスク着用でご参加願います。入り口でアルコール消毒、換気、離れてのご着席にご協力願います。
講義後の懇親会はありません。
また、以前配布済みの要綱コピーもご持参ください。

「東京アラート」が解除されたとはいえ、お出掛けに際しご家族の反対やご不安のある方も多いかと存じます。
欠席さ れても後日講座のDVDとテキストを郵送しますので、ご安心ください。

東京資本論第三巻運営委員会

会場案内

東京都立大学東京 秋葉原サテライトキャンパス 
〒101-0021   東京都 千代田区 外神田1-18-13 秋葉原ダイビル12階

5月24日の講座も順延となります

4月に続き5月も開講出来なくなりました

5月24日(日)予定の第10回講義は休講順延となりました。

新型コロナウイルス感染拡大に伴い「緊急事態宣言」(4月7日)が出され、解除された県もありますが、東京ではいまだ収束の見通しは立っていません。

「PCR検査」、「医療体制の確立と援助」、「休業にたいする保障」などは重大な遅れ、弱点、欠陥を伴いながらも対策がこうじられています。

格差拡大、貧困、社会保障の改悪、環境破壊など「新自由主義」の害悪が猛威をふるっています。「この資本主義のままでいいのか」が厳しく問われています。

『資本論』を学ぶ意義は特別に重要です。学習の継続を引き続きお願いします。

現在、コロナ感染を防ぎいのちを守るためには人との接触、移動を極力制限することが必要です。『資本論』第3巻講座は、残り3回です。最後まで開講したいと考えます。

どうぞよろしくお願いいたします。

東京資本論講座第3巻運営委員会

本講義がスタートしました!

7月28日 東京資本論第三巻講座が開講になり、期待の講義は始まりました。今回は初回ということで、運営委員長の後藤さんから「開講のあいさつ」がのべられ、引き続いて講師である宮川彰先生から「決意こめたごあいさつ」を頂き、きれめなく1コマ目の講義が始まりました。

掲げられたテーマは

第三巻で何を学ぶか:「序言」を中心に
「総過程」主題軸は価格の真相と分配法則〔利潤・利子・地代〕の解明。
常識の威力(=労働価値説)と外面的常識(=効用価値説)ウソ
エンゲルスの手紙、「第三部への補遺」を参照して↓でした。

今回の第三巻講座から、「中心テーマ」が明示されるようになりました。

講義に臨んで、改めてこの「中心テーマ」を的にして、枝葉にまよいこむことなく、しっかりとつかみと取りたいという気持ちを新たにしました。

配布された資料

A3版裏表15㌻、講義レジュメ1ページ、のすごさです。講義の中では、さすがにすべての資料が詳細には講義されないで時間が来てしまいましたが、終了後先生の短い紹介の言葉を手掛かりにその部分をみると、「すごいこと」が書いてあり、次回までにしっかり読んでおく必要があると思いました。

講義1

「資本論への導入部」として意義付けされ、まとめられた「ワンポイント」が講義されました。

すでに「ガイダンス」で取り上げられた問題の「再考」でしょうか、今話題のMMT理論と「同一労働・同一賃金」について、「資本論の立場」での把握について講義がほぼ1コマ分の時間をかけて行われました。

今回の「ワンポイント」は今までのものと趣がかわり、『資本論』学習との関連性をより明確にしようという宮川先生の「新たな力点」が強調されたのが特徴でした。

 MMT理論の本質を見抜くーーーこれこそ今日取り上げるエンゲルスの「序言」での理論問題がその解決の中心的論点を明示している。

 同一労働・同一賃金―――これは、安倍政権に利用される政策の意味と本質を見抜くこと。『資本論』の立場では、『資本論』「第1巻出来高払い賃金」の叙述と『賃金・価格・利潤』でのべられている「彼らは理解すべきである。彼らは「公正な一日分の労働にたいして公正な一日分の賃金を!」という保守的な標語のかわりに「賃金制度の廃止!」という革命的スローガンを彼らの旗に書きしるすべきである」という論点をきちんと把握する必要がある。という示唆は「『資本論』を学ぶ」とは「資本論そのものの本文だけを読み解く」ことではなく、現代の問題を『資本論』で展開されている科学的方法で分析できる力量を手に入れるということでなければならないということを痛感しました。

 一コマ目では最後の15分ほどを使って「序文」について「本文」を逐一読みながら重要な問題を読み解いてゆく講義がスタートしました。講義2、3の引き続くふたコマの講義はそれぞれ60分のものですが、エンゲルスの「序言」に書かれた二つの構成部分(❶エンゲルスの編集方針と苦労 ❷第三巻発刊時点での焦眉の理論問題(第二巻発刊時に提起したエンゲルスの「宿題」)について充実した講義が行われ、あっという間に時間が終わってしまいました。

講義 2

 「序文」の前半部分を丁寧に読み進めて講義がすすめられました。

大事と思われる点は「第三巻を世に送り出すための血のにじむようなエンゲルスの力闘に思いをはせる。」ということでしょうか。

宮川先生は、「この序言はエンゲルの遺言のような文書」と語られました。よく考えてみると本当にそうですね。これが書かれた翌年にはエンゲルスは没しているのですから、歴史の「もしも」はあり得ませんが、この大仕事を成し遂げてくれていなかったら、私たちは『資本論』第三部をこのような形で読むことは不可能になるのですから。

先生も「エンゲルスさんありがとう!ご苦労様でした」と言われましたが、正に「我が意をえたり」同感!!です。

エンゲルスの「苦闘」と「マルクスの著作として仕上げる」という基本的スタンスについては第二巻の「序文」でも詳細に書かれていて、以前に学習した方はそれも思い起こしたことでしょうね。 第三巻から学習を始めた方は、ぜひ第二巻の「序言」も一読されることをお勧めしたいと思いました。

講義 3

講義3は、「序言」の後半部分である「理論問題」についての解説でした。

実はこれは第二巻の「序言」でエンゲルスがだした宿題だったのですね。

「価値法則をそこなわないだけでなくむしろそれにもとづいてどのようにして同等な平均利潤率が形成されるのか、また形成されざるをえないのか」を証明する。(『資本論』新日本新書版❽17㌻)

「序文」の後半は、エンゲルスの「出題」についての「経済学者の解答」にたいする批判的検討なのだそうです。先生の講義によるとマルクスは第三巻の第二編で科学的な結論・解答を示しているのだそうですが、、、、ということはエンゲルスには「正解」が解っているのですね、いまさらながらエンゲルスの慧眼にびっくりします。

講義では「その問題と解答」について、「該当の編のところで詳細に検討することになる」といわれて、様々な経済学者の説の位置づけと(〇、×、△)について解説していただきました。

事前にこの「序文」を呼んだ印象では「そうとう難しい理論問題だ」と感じたのですが、それも当たり前ですよね。聞いてみれば「なだたる経済学者」が解答できないか、間違った解答をよせているのですから、まだまだ『資本論』学習では未熟と言える(労働者の本能的感覚は「学者」以上に備わっていると自負はしていますが)学問的には素人としては、論点のどこが問題のなのかを見極めるのはなかなか至難の業です。

でも、講義を聞き逃すまいと聞き耳をそば立てていて、紹介されたエンゲルスの手紙の言葉などを合わせて考えてみれば、なんとなくですがわかってきた(浮かび上がってきた)ことはありました。

〇 「価値法則にもとづく剰余価値の生産と交換法則」と「投下資本の大きさにかかわりなく同じ社会的に形成される平均利潤率にもとづく利潤を資本が取得する」ということは、俗流経済学者や表面的理解で考えるなら「絶対に両立しない現象」であること。

〇 「資本家または資本家階級の手に入る特別利潤は、まさに、労働者が、自分の労働の価格に対する代償分を再生産したあと、さらにそれ以上に、自分が支払いを受けることのない不払い労働の生産物、剰余価値――を生産しなければならないことを本質とし、また結局のところ、そのことによってのみ成立する。」(「序文」新日本新書版『資本論』❽22㌻)ということを決して手放してはならないということ。

〇 マルクスが『資本論』第一巻で解明した「価値対象性」(価値は人間の意識から独立した客観的存在であることの証明)の原点を堅持することの重要性。などなど。

講義を聴きながら、「本編」に入ってからの「マルクスの解答」がますます待ち遠しく、楽しみになりました。

「序言」の講義を聞きながら、エンゲルスの「経済学者」に対する批評や評価、論断などは、本当は「闘う労働者」にたいしてこそ向けられたメッセージ。

「世の中の富というもののすべては君たちの作り出した剰余価値に他ならないということを忘れてはならない」というメッセージではないかという気がしてきました。

 三コマ目の講義は、「序文」の解説にとどまらず、「価値」の科学的定義をないがしろにする最近の動きや、そもそも『資本論』というものの歴史的意義について、さらに現代日本の『資本論』をめぐる否定的な諸論説が蔓延している状況にも言及する熱のこもった講義が展開されました。

さて、次回はいよいよ本編の講義が始まります。

マルクスが構想し、エンゲルスが手直ししたテーマは、
「第1編 剰余価値の利潤への転化
     および剰余価値率の利潤率への転化

※ 注には、マルクスの「最初の草稿では、この表題は「剰余価値の利潤への転化。利潤率」となっている」と書かれています。このエンゲルスの手直しはどのような意図があったのでしょうか。考えるだけでわくわくしてきますね。

タイトルを見ただけでは、「だいぶ難しそう」と感じますね。もしかすると「転化」という言葉をしっかりつかむことが出発点になるのかもしれません。

ちょっと調べてみました。英語版の『資本論』を日本語に翻訳してホームページで公開している運営委委員会の一員である吉田さんによると、「転化」は
Metamorphose(メタモルフォーゼ)となっているそうです。

『資本論』第1巻には「第二編 貨幣の資本への転化」(新日本新書版第二分冊)がありました。そのタイトルをドイツ語版と照合してみたら、
Verwandlung von Geld in Kapitalとなっていたので、たぶん最初の単語がそうであろうと思い、Google辞典で調べてみました。「変換」と翻訳されました。

1967年に初版が出版された、『社会科学辞典』(新日本出版社224㌻)には次のように書かれていました。「転化 移行ともいう。他のもの(状態)に代わること。たとえば、水の氷への転化とは液体の水がそれとはちがった状態、すなわち個体にかわることであり、量から質への転化とは、量的変化がそれとはちがった変化、すなわち質的変化という他の変化にかわることである。」

学びたいという意欲がそそられる課題が満載しているようです。

 講座の扉は「随時募集」でいつでも開いています。

 スポット受講・DVD受講でご一緒に
『資本論』第三部の真髄を学びませんか!

東京資本論第三巻運営委員会 文責:A.Moroyu

宮川先生からのメッセージ!

いよいよ今度の日曜日(28日)から本講座が開講となります。
開講に当たって、講師の宮川彰先生から、熱いメッセージを頂きました。
以下がその本文です。

<科学的社会主義の立場にたつ>『資本論』講座の開講によせて

─受講生みなさまへの講師メッセージ ─

 

<科学的社会主義の立場にたつ>『資本論』学習をたかく掲げて、首都東京で資本論講座が立ち上がろうとしています。この志を抱いて、私宮川が第3巻講座をお引き受けします。

 まずは、マルクス没後に、はじめてエンゲルスが第3巻用の膨大な遺稿の束(たば)に目を通したときの、─墳墓に埋もれたとてつもない秘宝にはじめて光が差し込んだかのような─、鮮烈な驚きと賛辞を、ご覧あれ。──「私がこれまでに読んだもののうちでもっとも驚嘆に値するもの」(1885年4月23日付けダニエルソン宛て手紙)、「学問的には、第1巻の光をさえも奪うほどのりっぱな作品だ」(1885年6月15日付けベッカー宛て)。「第3巻は再び雷鳴のように作用するだろう。というのは、そこでは資本主義的生産の全体がはじめて関連のなかで取り扱われて、公認のブルジョア経済学の全体が覆されるだろうからだ」(1885年6月3日付けゾルゲ宛て)、と。

 日本と世界の情勢がかつて予想だにできなかった混迷と激動の様相を深めるなか、言いふるされた言葉ですが、
“いまこそ社会の病いの科学的処方箋『資本論』の出番 ! ”です。

 そうした世相の混迷の一端もしくは表われが、こんにち目を覆いたくなるような、内外の経済学の「劣化・俗流化」、「液状化」状況であること相違ありません。エンゲルスの、時代を越えて射抜く炯眼(けいがん)を、以下ご参照ください(ロシアの若き俊英革命家N・F・ダニエルソン宛て1888年10月15日付け手紙)。真っ直ぐ今に突き刺さってきます。

 〔現代の、⑴ 新自由主義の「供給経済学」派〔:過剰生産を野放図に煽りにあおった張本人〕/ ⑵“リフレ派”の「貨幣数量説」〔:6年間インフレ目標でカラ振りし続けて、MMTからさえも“褒め殺し”の笑いものにされた、政府・日銀の現象的貨幣論〕/ ⑶ 最新の、ケインズ俗化・焼き直しの「MMT派」、これらをさながら透視したかのように、それは図星ではありませんか。〕

  「あなた〔ダニエルソン〕は、イギリスではどうして経済学がこんなにも惨めな状態にあるのか、と怪しんでおられます。どこでも同じことなのです。古典派経済学も、それどころか卑俗きわまる自由貿易論の切り売り屋でさえも、いまや、大学で経済学教授の地位を占めているヨリ卑俗な「ヨリ高級な」人種からは軽蔑の目で眺められている始末です。そうした状況は、かなりの程度まで、われらの著者〔マルクス〕の責任によるものです。〔というのは、〕彼マルクスは、読者らに、古典派経済学〔労働価値説〕から導かれる危険な諸帰結〔すなわち剰余価値論=搾取論〕を見抜くことを教えたからです。そして、いま彼ら卑俗な人種どもは、少なくともこの経済学の分野ではどの科学をも放棄してしまうことが〔自分と自分が代弁する階級にとっては〕最も安泰だ、ということを見いだしているのです。彼らは平凡な俗人の目を眩(くら)ますことにすっかり成功をおさめていて、いまロンドンでは「社会主義者」と称する人びと*が登場することができるほどになり、そしてこのエセ「社会主義者」らは、われらの著者マルクスの理論にS・ジェボンズの説〔効用価値説〕を対置することによって、われらの著者〔マルクスの労働価値説=搾取論〕を完全に論破したと主張するにいたっているのです。」

 〔* フェビアン協会会員の、ウェブ夫妻、ジョージ・バーナード・ショウ、E・ピーズの四人〕

 そう、「どこでも同じことなのです。」 現代の、過剰生産に無頓着な「供給経済学」や“ポピュリズム受け”を狙ったいかがわしい「MMT説」こそは、ジェボンズ効用価値説の末裔たちです。これら公認の通俗説の跋扈(ばっこ)を放置してはならないし、科学放棄の極みである「ゲーム論」のごときジャンク説〔junk=ガラクタ、くず言説〕の横行をゆるしてはなりません。

 要(よう)は、『資本論』の命たる〈階級的批判的視点〉を研ぎ澄まし、「雷鳴をとどろかす」こと、です。第1巻(労働価値説=搾取論)および第2巻(搾取の実現理論)を基礎として、第3巻の峰(搾取論の展開・仕上げ)をめざして、志気たかく挑んでまいりましょう。

 首都東京での<科学的社会主義の立場にたつ>『資本論』第3巻講座の開講を、ぜひ成功裡に軌道に乗せたいと念じております。どうかお力添えをよろしくお願い申し上げます。

(2019.7.21.記)