7月28日 東京資本論第三巻講座が開講になり、期待の講義は始まりました。今回は初回ということで、運営委員長の後藤さんから「開講のあいさつ」がのべられ、引き続いて講師である宮川彰先生から「決意こめたごあいさつ」を頂き、きれめなく1コマ目の講義が始まりました。
掲げられたテーマは
第三巻で何を学ぶか:「序言」を中心に 「総過程」主題軸は価格の真相と分配法則〔利潤・利子・地代〕の解明。 常識の威力(=労働価値説)と外面的常識(=効用価値説)ウソ エンゲルスの手紙、「第三部への補遺」を参照して↓でした。
今回の第三巻講座から、「中心テーマ」が明示されるようになりました。
講義に臨んで、改めてこの「中心テーマ」を的にして、枝葉にまよいこむことなく、しっかりとつかみと取りたいという気持ちを新たにしました。
配布された資料
A3版裏表15㌻、講義レジュメ1ページ、のすごさです。講義の中では、さすがにすべての資料が詳細には講義されないで時間が来てしまいましたが、終了後先生の短い紹介の言葉を手掛かりにその部分をみると、「すごいこと」が書いてあり、次回までにしっかり読んでおく必要があると思いました。
講義1
「資本論への導入部」として意義付けされ、まとめられた「ワンポイント」が講義されました。
すでに「ガイダンス」で取り上げられた問題の「再考」でしょうか、今話題のMMT理論と「同一労働・同一賃金」について、「資本論の立場」での把握について講義がほぼ1コマ分の時間をかけて行われました。
今回の「ワンポイント」は今までのものと趣がかわり、『資本論』学習との関連性をより明確にしようという宮川先生の「新たな力点」が強調されたのが特徴でした。
MMT理論の本質を見抜くーーーこれこそ今日取り上げるエンゲルスの「序言」での理論問題がその解決の中心的論点を明示している。
同一労働・同一賃金―――これは、安倍政権に利用される政策の意味と本質を見抜くこと。『資本論』の立場では、『資本論』「第1巻出来高払い賃金」の叙述と『賃金・価格・利潤』でのべられている「彼らは理解すべきである。彼らは「公正な一日分の労働にたいして公正な一日分の賃金を!」という保守的な標語のかわりに「賃金制度の廃止!」という革命的スローガンを彼らの旗に書きしるすべきである」 という論点をきちんと把握する必要がある。という示唆は「『資本論』を学ぶ」とは「資本論そのものの本文だけを読み解く」ことではなく、現代の問題を『資本論』で展開されている科学的方法で分析できる力量を手に入れるということでなければならないということを痛感しました。
一コマ目では最後の15分ほどを使って「序文」について「本文」を逐一読みながら重要な問題を読み解いてゆく講義がスタートしました。講義2、3の引き続くふたコマの講義はそれぞれ60分のものですが、エンゲルスの「序言」に書かれた二つの構成部分(❶エンゲルスの編集方針と苦労 ❷第三巻発刊時点での焦眉の理論問題(第二巻発刊時に提起したエンゲルスの「宿題」)について充実した講義が行われ、あっという間に時間が終わってしまいました。
講義 2
「序文」の前半部分を丁寧に読み進めて講義がすすめられました。
大事と思われる点は「第三巻を世に送り出すための血のにじむようなエンゲルスの力闘に思いをはせる。」ということでしょうか。
宮川先生は、「この序言はエンゲルの遺言のような文書」と語られました。よく考えてみると本当にそうですね。これが書かれた翌年にはエンゲルスは没しているのですから、歴史の「もしも」はあり得ませんが、この大仕事を成し遂げてくれていなかったら、私たちは『資本論』第三部をこのような形で読むことは不可能になるのですから。
先生も「エンゲルスさんありがとう!ご苦労様でした」と言われましたが、正に「我が意をえたり」同感!!です。
エンゲルスの「苦闘」と「マルクスの著作として仕上げる」という基本的スタンスについては第二巻の「序文」でも詳細に書かれていて、以前に学習した方はそれも思い起こしたことでしょうね。 第三巻から学習を始めた方は、ぜひ第二巻の「序言」も一読されることをお勧めしたいと思いました。
講義 3
講義3は、「序言」の後半部分である「理論問題」についての解説でした。
実はこれは第二巻の「序言」でエンゲルスがだした宿題だったのですね。
「価値法則をそこなわないだけでなくむしろそれにもとづいてどのようにして同等な平均利潤率が形成されるのか、また形成されざるをえないのか」を証明する。(『資本論』新日本新書版❽17㌻)
「序文」の後半は、エンゲルスの「出題」についての「経済学者の解答」にたいする批判的検討なのだそうです。先生の講義によるとマルクスは第三巻の第二編で科学的な結論・解答を示しているのだそうですが、、、、ということはエンゲルスには「正解」が解っているのですね、いまさらながらエンゲルスの慧眼にびっくりします。
講義では「その問題と解答」について、「該当の編のところで詳細に検討することになる」といわれて、様々な経済学者の説の位置づけと(〇、×、△)について解説していただきました。
事前にこの「序文」を呼んだ印象では「そうとう難しい理論問題だ」と感じたのですが、それも当たり前ですよね。聞いてみれば「なだたる経済学者」が解答できないか、間違った解答をよせているのですから、まだまだ『資本論』学習では未熟と言える(労働者の本能的感覚は「学者」以上に備わっていると自負はしていますが)学問的には素人としては、論点のどこが問題のなのかを見極めるのはなかなか至難の業です。
でも、講義を聞き逃すまいと聞き耳をそば立てていて、紹介されたエンゲルスの手紙の言葉などを合わせて考えてみれば、なんとなくですがわかってきた(浮かび上がってきた)ことはありました。
〇 「価値法則にもとづく剰余価値の生産と交換法則」と「投下資本の大きさにかかわりなく同じ社会的に形成される平均利潤率にもとづく利潤を資本が取得する」ということは、俗流経済学者や表面的理解で考えるなら「絶対に両立しない現象」であること。
〇 「資本家または資本家階級の手に入る特別利潤は、まさに、労働者が、自分の労働の価格に対する代償分を再生産したあと、さらにそれ以上に、自分が支払いを受けることのない不払い労働の生産物、剰余価値――を生産しなければならないことを本質とし、また結局のところ、そのことによってのみ成立する。」(「序文」新日本新書版『資本論』❽22㌻)ということを決して手放してはならないということ。
〇 マルクスが『資本論』第一巻で解明した「価値対象性」(価値は人間の意識から独立した客観的存在であることの証明)の原点を堅持することの重要性。などなど。
講義を聴きながら、「本編」に入ってからの「マルクスの解答」がますます待ち遠しく、楽しみになりました。
「序言」の講義を聞きながら、エンゲルスの「経済学者」に対する批評や評価、論断などは、本当は「闘う労働者」にたいしてこそ向けられたメッセージ。
「世の中の富というもののすべては君たちの作り出した剰余価値に他ならないということを忘れてはならない」というメッセージではないかという気がしてきました。
三コマ目の講義は、「序文」の解説にとどまらず、「価値」の科学的定義をないがしろにする最近の動きや、そもそも『資本論』というものの歴史的意義について、さらに現代日本の『資本論』をめぐる否定的な諸論説が蔓延している状況にも言及する熱のこもった講義が展開されました。
さて、次回はいよいよ本編の講義が始まります。
マルクスが構想し、エンゲルスが手直ししたテーマは、「第1編 剰余価値の利潤への転化 および剰余価値率の利潤率への転化
※ 注には、マルクスの「最初の草稿では、この表題は「剰余価値の利潤への転化。利潤率」となっている」と書かれています。このエンゲルスの手直しはどのような意図があったのでしょうか。考えるだけでわくわくしてきますね。
タイトルを見ただけでは、「だいぶ難しそう」と感じますね。もしかすると「転化」という言葉をしっかりつかむことが出発点になるのかもしれません。
ちょっと調べてみました。英語版の『資本論』を日本語に翻訳してホームページで公開している運営委委員会の一員である吉田さんによると、「転化」は Metamorphose(メタモルフォーゼ)となっているそうです。
『資本論』第1巻には「第二編 貨幣の資本への転化」(新日本新書版第二分冊)がありました。そのタイトルをドイツ語版と照合してみたら、 Verwandlung von Geld in Kapitalとなっていたので、たぶん最初の単語がそうであろうと思い、Google辞典で調べてみました。「変換」と翻訳されました。
1967年に初版が出版された、『社会科学辞典』(新日本出版社224㌻)には次のように書かれていました。「転化 移行ともいう。他のもの(状態)に代わること。たとえば、水の氷への転化とは液体の水がそれとはちがった状態、すなわち個体にかわることであり、量から質への転化とは、量的変化がそれとはちがった変化、すなわち質的変化という他の変化にかわることである。」
学びたいという意欲がそそられる課題が満載しているようです。
講座の扉は「随時募集」でいつでも開いています。
スポット受講・DVD受講でご一緒に 『資本論』第三部の真髄を学びませんか!
東京資本論第三巻運営委員会 文責:A.Moroyu