宮川先生からのメッセージ!

いよいよ今度の日曜日(28日)から本講座が開講となります。
開講に当たって、講師の宮川彰先生から、熱いメッセージを頂きました。
以下がその本文です。

<科学的社会主義の立場にたつ>『資本論』講座の開講によせて

─受講生みなさまへの講師メッセージ ─

 

<科学的社会主義の立場にたつ>『資本論』学習をたかく掲げて、首都東京で資本論講座が立ち上がろうとしています。この志を抱いて、私宮川が第3巻講座をお引き受けします。

 まずは、マルクス没後に、はじめてエンゲルスが第3巻用の膨大な遺稿の束(たば)に目を通したときの、─墳墓に埋もれたとてつもない秘宝にはじめて光が差し込んだかのような─、鮮烈な驚きと賛辞を、ご覧あれ。──「私がこれまでに読んだもののうちでもっとも驚嘆に値するもの」(1885年4月23日付けダニエルソン宛て手紙)、「学問的には、第1巻の光をさえも奪うほどのりっぱな作品だ」(1885年6月15日付けベッカー宛て)。「第3巻は再び雷鳴のように作用するだろう。というのは、そこでは資本主義的生産の全体がはじめて関連のなかで取り扱われて、公認のブルジョア経済学の全体が覆されるだろうからだ」(1885年6月3日付けゾルゲ宛て)、と。

 日本と世界の情勢がかつて予想だにできなかった混迷と激動の様相を深めるなか、言いふるされた言葉ですが、
“いまこそ社会の病いの科学的処方箋『資本論』の出番 ! ”です。

 そうした世相の混迷の一端もしくは表われが、こんにち目を覆いたくなるような、内外の経済学の「劣化・俗流化」、「液状化」状況であること相違ありません。エンゲルスの、時代を越えて射抜く炯眼(けいがん)を、以下ご参照ください(ロシアの若き俊英革命家N・F・ダニエルソン宛て1888年10月15日付け手紙)。真っ直ぐ今に突き刺さってきます。

 〔現代の、⑴ 新自由主義の「供給経済学」派〔:過剰生産を野放図に煽りにあおった張本人〕/ ⑵“リフレ派”の「貨幣数量説」〔:6年間インフレ目標でカラ振りし続けて、MMTからさえも“褒め殺し”の笑いものにされた、政府・日銀の現象的貨幣論〕/ ⑶ 最新の、ケインズ俗化・焼き直しの「MMT派」、これらをさながら透視したかのように、それは図星ではありませんか。〕

  「あなた〔ダニエルソン〕は、イギリスではどうして経済学がこんなにも惨めな状態にあるのか、と怪しんでおられます。どこでも同じことなのです。古典派経済学も、それどころか卑俗きわまる自由貿易論の切り売り屋でさえも、いまや、大学で経済学教授の地位を占めているヨリ卑俗な「ヨリ高級な」人種からは軽蔑の目で眺められている始末です。そうした状況は、かなりの程度まで、われらの著者〔マルクス〕の責任によるものです。〔というのは、〕彼マルクスは、読者らに、古典派経済学〔労働価値説〕から導かれる危険な諸帰結〔すなわち剰余価値論=搾取論〕を見抜くことを教えたからです。そして、いま彼ら卑俗な人種どもは、少なくともこの経済学の分野ではどの科学をも放棄してしまうことが〔自分と自分が代弁する階級にとっては〕最も安泰だ、ということを見いだしているのです。彼らは平凡な俗人の目を眩(くら)ますことにすっかり成功をおさめていて、いまロンドンでは「社会主義者」と称する人びと*が登場することができるほどになり、そしてこのエセ「社会主義者」らは、われらの著者マルクスの理論にS・ジェボンズの説〔効用価値説〕を対置することによって、われらの著者〔マルクスの労働価値説=搾取論〕を完全に論破したと主張するにいたっているのです。」

 〔* フェビアン協会会員の、ウェブ夫妻、ジョージ・バーナード・ショウ、E・ピーズの四人〕

 そう、「どこでも同じことなのです。」 現代の、過剰生産に無頓着な「供給経済学」や“ポピュリズム受け”を狙ったいかがわしい「MMT説」こそは、ジェボンズ効用価値説の末裔たちです。これら公認の通俗説の跋扈(ばっこ)を放置してはならないし、科学放棄の極みである「ゲーム論」のごときジャンク説〔junk=ガラクタ、くず言説〕の横行をゆるしてはなりません。

 要(よう)は、『資本論』の命たる〈階級的批判的視点〉を研ぎ澄まし、「雷鳴をとどろかす」こと、です。第1巻(労働価値説=搾取論)および第2巻(搾取の実現理論)を基礎として、第3巻の峰(搾取論の展開・仕上げ)をめざして、志気たかく挑んでまいりましょう。

 首都東京での<科学的社会主義の立場にたつ>『資本論』第3巻講座の開講を、ぜひ成功裡に軌道に乗せたいと念じております。どうかお力添えをよろしくお願い申し上げます。

(2019.7.21.記)